現地(被曝エリア)で燃やすべき
vs
日本各地で燃やすべき
どうやらこの二つに分かれるようです。
私は、どちらの意見も納得できません。
どちらで燃やそうと、燃やした周辺住人は被曝をするんです。
燃やせば周辺の誰かが被曝するんです。
既に被曝している人(土地)が、再び被曝するのか。
まだ被曝していない人(土地)が、初めて被曝するのか。
それだけの違いなのです。
どちらにしろ、非人道的だと思います。
http://blog.goo.ne.jp/nbjc/e/9581ab4316332b1e2408fb817c48e512
そこで「ベラルーシの部屋」ブログを見たら、日本人からは目から鱗のような意見がなされていました。
そもそも、燃やしてはいけないのだ、という意見。
もちろんベラルーシのようにただ埋めるだけでは地下水と土壌汚染の問題が出て来るでしょう。
しかし日本もなんとか、燃やさない道を模索することはできないものでしょうか?
たとえば、原発周辺には今後長い将来にわたって居住不可になったエリアがあり、そこはもう誰も住んでいないんです。
そこに貯めておく施設を作るですとか。
たとえばセシウムが完全に消失するまで保管し続けるですとか。
誰かに被曝を押し付ける、以外の方法を模索して欲しいです。
◎◎追記◎◎
http://blog.goo.ne.jp/nagaikenji20070927/e/0495ff1be78d3790161a8fc6fdcf6dc5
「汚染された場所は大変で、さらにそこで放射性物質を含んだ瓦礫を大量に処理することは、放射性物質がさらに空間に飛び交うことになる。これも大変危ないこと。もともと危ないエリアがさらに危なくなる。其の地域の人々の健康を守ることが大切なんだ。」
バンダジェフスキー博士も、どこで燃やすか、という問題ではなく、燃やしてはならない、という意見のようです。
汚染エリアの住人の再被曝を懸念されるご意見を聞いて、とてもほっとしました。
日本の人々は「汚染エリアで燃やせばいいじゃん」という雰囲気がして、とてもいやです。
改めて、どこであろうとも燃やしてはならない、という思いを強くしました。