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2011年3月に関東で被曝しました。
被曝者として放射能に関する情報や思うところを書き留めます。

2012年2月11日土曜日

原発推進の石原都知事こそ野蛮!

http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120206/dst12020603120001-n4.htm
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20120211k0000m010089000c.html

25万票という重みをまずは考えるべきである。
個人的な原発推進思想ありきで、人民の25万人という数字を軽く切り捨てる姿勢は果たして自治体の長の姿勢としてどうなのだろう。
この人には、自分が都民の命を預かる立場であるという自覚はあるのだろうか。
いまだに作家先生気分なんじゃないだろうか。そういうのを、「なんちゃって知事」というんである。
議員の「タレント候補」とおんなじだ。
それから、人間は技術進化させていくべきであり、だから原発推進。という考えは、原発問題の本質から目をそらさせる。
原発の問題は、工学や技術の問題ではない。医療の問題である。
原子力発電所の事故は、たとえば火力発電所の事故とどう違うのか?
それは、原発事故が、他の事故と違い、「被曝による病」という難病を広範囲にばらまいてしまうことだ。
人類がいま目指すべきは、「地震でも壊れない原発を作ること」では、ない。
「放射線に遺伝子をずたずたに傷つけられても治療する」医療である。
被曝病という難病を治療する医療を見つけたときに初めて、人類は原子力という技術を己のものにするのである。
従って、人類の進歩を云々するならば、まずは被曝による病を正確に把握して正面からそれに向き合う姿勢が急務である
原発を作り続け原発村の住民たちの私腹を肥やすためのみに、被曝による病から目をそらしている現状は、むしろ人類の進歩に逆行しているのではないか。
>ひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為
反原発が上記の行為ならば、原発推進は、執念深い欲望に駆られた野蛮な行為である。







http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/120206/dst12020603120001-n4.htm

石原慎太郎 原発に関するセンチメントの愚
人間の進化進歩は他の動物は及ばない人間のみによるさまざまな技術の開発改良によってもたらされた。その過程で失敗もありその超克があった。それは文明の原理で原子力もそれを証すものだ。そもそも太陽系宇宙にあっては地球を含む生命体は太陽の与える放射線によっても育まれてきたのだ。それを人為的に活用する術を人間は編み出してきた。その成果を一度の事故で否定し放棄していいのか、そうした行為は「人間が進歩することによって文明を築いてきたという近代の考え方を否定するものだ。人間が猿に戻ると言うこと-」と吉本隆明氏も指摘している。
 人間だけが持つ英知の所産である原子力の活用を一度の事故で否定するのは、一見理念的なことに見えるが実はひ弱なセンチメントに駆られた野蛮な行為でしかありはしない。
 日本と並んで原子力の活用で他に抜きんじているフランスと比べれば、世界最大の火山脈の上にあるというどの国に比べてももろく危険な日本の国土の地勢学的条件を斟酌せずにことを進めてきた原発当事者たちの杜撰(ずさん)さこそが欠陥であって、それをもって原子力そのものを否定してしまうのは無知に近い野蛮なものでしかありはしない。
 豊かな生活を支えるエネルギー量に関する確たる計量も代案もなしに、人知の所産を頭から否定してかかる姿勢は社会全体にとって危険なものでしかない。

石原都知事:原発の是非問う住民投票 条例制定を否定

東京都の石原慎太郎知事=三浦博之撮影
東京都の石原慎太郎知事=三浦博之撮影
 東京都で市民団体が原発の賛否を問う住民投票条例の制定を目指していることについて、石原慎太郎知事は10日の定例記者会見で、「条例を作れるわけがないし、作るつもりもない」と述べた。
 市民団体「みんなで決めよう『原発』国民投票」が9日、条例制定請求に必要な署名数を超える約25万人分を集めたと発表。団体は選管による署名簿の審査を経て、知事に条例制定を請求する。知事は都議会に付議する際、意見を付けることになっている。【武内亮】



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