つまり,あれもこれも心配していたら生きていけないわけです。だから,良い情報はポジティブに評価し,悪い情報を無視する。そういった情報処理に関する非対称性,つまり「正常化の偏見」は,とても人間らしいものだと思っていますし,人間とはそういうものだと認めるべきだと思っています。
しかし,「もし何も備えなかったときに,何が起こるのか」「逃げないことで,何が起こるのか」だけは,正しく理解してもらわなければなりません。
(中略)
警報が外れる可能性があったとしても,われわれにできることは逃げることしかないのです。もし警報が空振りになったとしても「予報が外れて良かった」と思うしかない。
(中略)
警報が外れる可能性があったとしても,われわれにできることは逃げることしかないのです。もし警報が空振りになったとしても「予報が外れて良かった」と思うしかない。
「釜石の奇跡」の立役者である片田教授の、2007年のインタビュー記事です。
いま、地震、津波、放射能という三重の災害に見舞われている日本人にとって実に耳に痛い言葉です。
多くの人が、自分は大丈夫と思って避難すべき汚染地帯から逃げないでいる。。。
多くの人が、自分は大丈夫と思って避けるべき汚染食品を食べている。。。
私もいまだ関東に住んでいます。
昨日はついにお寿司食べちゃいました。
ああ、本当に、耳に痛いです (泣)